「自分は黒髪だからカラコンは似合わない」と思っている人はいますか?
やっぱりカラコンにはコスプレとかギャル系のイメージがあるので、黒髪だとカラコンは似合わないと思ってしまう人もまだまだいると思います。
でも本当はそんなことは無く、選ぶカラコンさえ間違わなければ黒髪の人にだってカラコンは何の問題もなく似合うのです。
では黒髪の人はどうやってカラコンを選べばいいのか・・・
それは▼のサイトに詳しく書かれています。
黒髪に似合うカラコンの色

実はその黒髪カラコンサイトは私が以前から運営しているサイトです。
詳しくはサイトを見てほしいのですが、せっかくなのでここでも少しだけ解説しようと思います。

今はハーフ系メイクとかハーフ系カラコンという言葉をよく聞きます。
ハーフの女の子のような雰囲気になりたい人がメイクやカラコンでそれっぽく見せるということです。
ハーフ系カラコンを選ぶコツは複数トーン(できれば3色トーン)で色が入っているカラコンを選ぶことです。
ダークグレーとライトグレーとヘーゼルの3色とかそういうカラコンです。
これは特に黒髪の人に限らずハーフ系カラコンを選ぶコツです。
ただの普通のブルーとかグリーンとかだとコスプレっぽく見えてしまったり、ハーフではなく完全に外国人っぽくなってしまったりということになってしまいます。

そしてハーフ系カラコンのもうひとつのキーワードが「ひまわり模様」です。
これは文字で説明するのが難しいので上の参考サイト内の写真をぜひ見てもらいたいのですが、目にひまわり模様が出るカラコンというのがあるのです。
そしてそのひまわり模様がハーフっぽく見えるポイントでもあります。

「複数トーン」「ひまわり模様」この二つを頭に入れてハーフ系カラコンを選ぶといいですよ。

さて、黒髪でカラコンを付けたいと思っている人の中にはコンタクトレンズ自体付けたことが無い人がいるかもしれません。
コンタクトレンズには含水率というものがあって、この数字はレンズによって違います。

含水率が高いカラコンは触ったときに柔らかい感じで付け心地がよさそうに感じるのですが、目に装着して時間がたつと目が乾燥してくることがあります。
逆に含水率が低いレンズは触ったときに固く感じるのですが、長時間装着していても目が乾燥しにくいです。

含水率が高い方が乾燥しないイメージがあるかも知れませんが実際には逆です。

もしカラコンを付けてみて乾燥すると感じたらそのレンズよりも含水率が低いレンズを試してみてください。
結構違うはずです。

オイリー肌の女性の悩みと言えばまず真っ先に思いつくのがテカり。
そして夏などで汗をかくとさらにそのテカリがひどくなります。
しかし、だからといって一日に何十回も洗顔するのはお肌に良くないです。
脂取り紙も同じで頻繁に使いすぎてはだめです。
なぜなら本来お肌に必要な分の皮脂まで取ってしまうからです。
食生活などを見直しても生まれつきの体質などはなかなか変えることはできません。
また、年齢的な問題もあります。
一般的に思春期はホルモンバランスの崩れによって皮脂の分泌が多くなる人が多いです。

オイリー肌の女性の場合、午後になるとファンデーションが崩れるなどのメイクの悩みもあるはずです。
そんな時には化粧下地をオイリー肌用のものに代えてみるという手があります。

たとえば「MIMURA SMOOTH SKIN COVER」という化粧下地はオイリー肌の女性にぴったりな化粧下地です。
パウダー配合のサラサラな仕上がりで化粧崩れやテカリを抑えてくれます。
お肌のクレーターやシワをカバーしてくれるという特徴もあります。
さらに紫外線からもお肌を守ってくれます。
おそらく通販でしか買えない商品だと思いますが、オイリー肌の女性は購入を検討してみて欲しいです。
商品の容器は小さいのですが一度に使う量はごく少量なのでだいたい2ヶ月くらいはもちます。
使うときの注意として「たっぷりべったり塗るのはNG」で、少量をうすく伸ばすように顔に塗ります。

「MIMURA SMOOTH SKIN COVER」と同傾向の商品として「セルフューチャー シルキーカバーオイルブロック」という化粧下地もあるのですが、詳しく知りたい人は↓のサイトを見てください。
「MIMURA SMOOTH SKIN COVER」が買える公式通販サイトも紹介されています。
参考サイト:オイリー肌におすすめの化粧下地

梶井 基次郎3

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 最近東京を騒がした有名な強盗が捕まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのだそうである。
 私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快な戦慄を禁じることができなかった。
 闇! そのなかではわれわれは何を見ることもできない。より深い暗黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫って来る。こんななかでは思考することさえできない。何が在るかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことができよう。勿論われわれは摺足でもして進むほかはないだろう。しかしそれは苦渋や不安や恐怖の感情で一ぱいになった一歩だ。その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだろう。裸足で薊を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。
 闇のなかでは、しかし、もしわれわれがそうした意志を捨ててしまうなら、なんという深い安堵がわれわれを包んでくれるだろう。この感情を思い浮かべるためには、われわれが都会で経験する停電を思い出してみればいい。停電して部屋が真暗になってしまうと、われわれは最初なんともいえない不快な気持になる。しかしちょっと気を変えて呑気でいてやれと思うと同時に、その暗闇は電燈の下では味わうことのできない爽やかな安息に変化してしまう。
 深い闇のなかで味わうこの安息はいったいなにを意味しているのだろう。今は誰の眼からも隠れてしまった――今は巨大な闇と一如になってしまった――それがこの感情なのだろうか。

 自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。
 Eの停留所からでも帰ることができる。しかもM停留所からの距離とさして違わないという発見は大層自分を喜ばせた。変化を喜ぶ心と、も一つは友人の許へ行くのにMからだと大変大廻りになる電車が、Eからだと比較にならないほど近かったからだった。ある日の帰途気まぐれに自分はEで電車を降り、あらましの見当と思う方角へ歩いて見た。しばらく歩いているうちに、なんだか知っているような道へ出て来たわいと思った。気がついてみると、それはいつも自分がMの停留所へ歩いてゆく道へつながって行くところなのであった。小心翼々と言ったようなその瞬間までの自分の歩き振りが非道く滑稽に思えた。そして自分は三度に二度というふうにその道を通るようになった。
 Mも終点であったがこのEも終点であった。Eから乗るとTで乗換えをする。そのTへゆくまでがMからだとEからの二倍も三倍もの時間がかかるのであった。電車はEとTとの間を単線で往復している。閑な線で、発車するまでの間を、車掌がその辺の子供と巫山戯ていたり、ポールの向きを変えるのに子供達が引張らせてもらったりなどしている。事故などは少いでしょうと訊くと、いやこれで案外多いのです。往来を走っているのは割合い少いものですが、など車掌は言っていた。汽車のように枕木の上にレールが並べてあって、踏切などをつけた、電車だけの道なのであった。
 窓からは線路に沿った家々の内部が見えた。破屋というのではないが、とりわけて見ようというような立派な家では勿論なかった。しかし人の家の内部というものにはなにか心惹かれる風情といったようなものが感じられる。窓から外を眺め勝ちな自分は、ある日その沿道に二本のうつぎを見つけた。

「たうとう弟にまで金を借りる樣になつたかなあ。」と奎吉は、一度思ひついたら最後の後悔の幕迄行つて見なければ得心の出來なくなる、いつもの彼の盲目的な欲望がむらむらと高まつて來るのを感じながら思つた。
 彼にとつてはもうこうなればその醜い欲望が勝を占めてしまふに違ひなかつた。彼は彼で祕かにそれを見越して、それを拒否する意志の働くのを斷念する傾きが出來てゐたのだつた。
 彼は今金がつかんで見度くて堪らないのであつた。然し正當の手段でそれをこしらへるめどは周圍のどこにもなかつた。
 彼は兩親から金を持つことを許されてゐないのであつた。どうして奎吉がそんな破目になつたかと云へば、それは彼の樣な性格の人間には當然な經緯の結果なのである。
 ――彼は二度續けて落第したため、最近迄籍をおいてゐた高等學校を追はれた。
 あらゆる徳目と兩立しない欲望が、又しても又しても彼のちつぽけな意志を押し流した。彼の理想や彼の兩親の願望の忠臣である彼の意志なるものはあまりに弱かつたのである。彼はその度に後悔し誓つた。然し回を重ねるにつれて、放埒の度は段々はげしくなつた。結局彼は引き摺られる所まで引き摺つてゆかれたのだ。――そして彼は學校を追はれたのだつた。
「お父さんも今度といふ今度は本當に慍つてゐらつしやる。」と奎吉は母に云ひきかされた。

梶井 基次郎2

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 冬が来て私は日光浴をやりはじめた。溪間の温泉宿なので日が翳り易い。溪の風景は朝遅くまでは日影のなかに澄んでいる。やっと十時頃溪向こうの山に堰きとめられていた日光が閃々と私の窓を射はじめる。窓を開けて仰ぐと、溪の空は虻や蜂の光点が忙しく飛び交っている。白く輝いた蜘蛛の糸が弓形に膨らんで幾条も幾条も流れてゆく。(その糸の上には、なんという小さな天女! 蜘蛛が乗っているのである。彼らはそうして自分らの身体を溪のこちら岸からあちら岸へ運ぶものらしい。)昆虫。昆虫。初冬といっても彼らの活動は空に織るようである。日光が樫の梢に染まりはじめる。するとその梢からは白い水蒸気のようなものが立ち騰る。霜が溶けるのだろうか。溶けた霜が蒸発するのだろうか。いや、それも昆虫である。微粒子のような羽虫がそんなふうに群がっている。そこへ日が当ったのである。
 私は開け放った窓のなかで半裸体の身体を晒しながら、そうした内湾のように賑やかな溪の空を眺めている。すると彼らがやって来るのである。彼らのやって来るのは私の部屋の天井からである。日蔭ではよぼよぼとしている彼らは日なたのなかへ下りて来るやよみがえったように活気づく。私の脛へひやりととまったり、両脚を挙げて腋の下を掻くような模ねをしたり手を摩りあわせたり、かと思うと弱よわしく飛び立っては絡み合ったりするのである。そうした彼らを見ていると彼らがどんなに日光を恰しんでいるかが憐れなほど理解される。とにかく彼らが嬉戯するような表情をするのは日なたのなかばかりである。それに彼らは窓が明いている間は日なたのなかから一歩も出ようとはしない。

 例月に比して小量のものしか載せ得なかつたことは、青空の經濟策に變動があつたことにもよるが、編輯の任にあたつた私が病態思ふやうに働らけなかつたためである。その點パートナーの三好を多々煩はしたことを感謝しなければならない。
 青空も滿二年を經た。絶えざる成長が行はれたことは讀者も感じられることゝ思ふ。内部にはそれと共に新らしい進展のための用意が出來てゐる。それが今年度になつてどんな成果を持つて來るか私には大きな樂しみである。生活の上にも同人の中の數人には卒業にともなふ變化がこの三月には約束されてゐるのだ。
 今月號に於て同人淺沼の評論、金斗熔氏から頂いた原稿が載せられなかつたことを遺憾に思ふ。同人阿部は卒業論文作成のため何も書かなかつた。來月には必ず何か書くことゝ思ふ。
 寄贈された雜誌に厚く御禮申します。

「お前は弟達をちつとも可愛がつてやらない。お前は愛のない男だ。」
 父母は私によくそう云つて戒めた。
 實際私は弟達に對して隨分突慳貪であつた。彼等を泣かすのは何時でも私であつた。彼等に手を振り上げるのは兄弟中で事實私一人だつた。だから父母のその言葉は一應はもつともなのであるが私は私のとつてゐた態度以外にはどうしても彼等が扱へなかつた。
 私はどちらかと云へば彼等には暴君であつた。然しとにかく弟達はそれの或程度迄には折れ合つて、私對弟等の或る一定した關係の朧ろな輪廓が出來てゐた。
 然しその標準から私は時々はみ出たことをした。――と云ふよりも事實いけないと思ふ樣なことをした記憶をもつてゐる。

 三年程以前のことだと思ふ。その勘定だと、上の方の弟が十三で、その次が十の時だつた筈である。
 その下の方の弟がこんなことを云つて戸外から歸つて來た。
「勇ちやん――(上の方の弟の名)――今そとでよその奴に撲られたんだよ。」
 譯をきいて見れば、勇が自轉車につきあたられて、そしておまけに「この間拔け奴。」と云つてその乘つてゐた男に頭を撲られたと云ふのである。

梶井 基次郎

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 行一が大学へ残るべきか、それとも就職すべきか迷っていたとき、彼に研究を続けてゆく願いと、生活の保証と、その二つが不充分ながら叶えられる位置を与えてくれたのは、彼の師事していた教授であった。その教授は自分の主裁している研究所の一隅に彼のための椅子を設けてくれた。そして彼は地味な研究の生活に入った。それと同時に信子との結婚生活が始まった。その結婚は行一の親や親族の意志が阻んでいたものだった。しかし結局、彼はそんな人びとから我が儘だ剛情だと言われる以外のやり方で、物事を振舞うすべを知らなかったのだ。
 彼らは東京の郊外につつましい生活をはじめた。櫟林や麦畠や街道や菜園や、地形の変化に富んだその郊外は静かで清すがしかった。乳牛のいる牧場は信子の好きなものだった。どっしりした百姓家を彼は愛した。
「あれに出喰わしたら、こう手綱を持っているだろう、それのこちら側へ避けないと危いよ」
 行一は妻に教える。春埃の路は、時どき調馬師に牽かれた馬が閑雅な歩みを運んでいた。
 彼らの借りている家の大家というのは、この土地に住みついた農夫の一人だった。夫婦はこの大家から親しまれた。時どき彼らは日向や土の匂いのするようなそこの子を連れて来て家で遊ばせた。彼も家の出入には、苗床が囲ってあったりする大家の前庭を近道した。

 筆致は手馴れてゐて、無駄な描寫がない。無駄がないといふことは、書いてあることがみなそれぞれの重要さで活きてゐるといふことである。それぞれの重要さで作品を活かしてゐるといふことである。生硬な論文や、強い言葉の竝列がそのまま戰死してゐるやうな小説から、このやうな小説へやつて來ると、自づから藝術圈内へはひつて來たことが納得される。描寫が想像をなだらかに誘つてゆく。――ところで私は一體この作品からどんな想像を得たのであるか。
 一言にして云へば一つの「世態」。――これは「世態人情」の世態であるが、作者の階級的な立場にも拘はらず、私にはその感じが非常に強かつた。これには「旦那さま」が「彼」になつたので驚ろいてゐるといふやうな經濟鬪爭の最初のシヨツクにあふ少女を作者が捕へて來たことに、既に題材的な制限があるのであるが、それにしてもなほ、現實を剔抉することの不足、主觀を書き込むことの不足が、この作品にそのやうな印象を與へるやうになつたことは爭へないのである。作者はこれが一つの世態の描寫、新らしい「浮世繪」として見られることには、必ずや大きい不滿があるだらう。
 しかし、ともあれ、ここには生きた生活が――書かれてある感情のみな動いてゐる描寫がある。定跡にあてはめて書き下ろされた爭議臺本では決してない。これは推稱さるべきものである。

 それより前、自分はかなり根をつめて書いたものを失敗に終わらしていた。失敗はとにかくとして、その失敗の仕方の変に病的だったことがその後の生活にまでよくない影響を与えていた。そんな訳で自分は何かに気持の転換を求めていた。金がなくなっていたので出歩くにも出歩けなかった。そこへ家から送ってくれた為替にどうしたことか不備なところがあって、それを送り返し、自分はなおさら不愉快になって、四日ほど待っていたのだった。その日に着いた為替はその二度目の為替であった。
 書く方を放棄してから一週間余りにもなっていただろうか。その間に自分の生活はまるで気力の抜けた平衡を失したものに変わっていた。先ほども言ったように失敗が既にどこか病気染みたところを持っていた。書く気持がぐらついて来たのがその最初で、そうこうするうちに頭に浮かぶことがそれを書きつけようとする瞬間に変に憶い出せなくなって来たりした。読み返しては訂正していたのが、それもできなくなってしまった。どう直せばいいのか、書きはじめの気持そのものが自分にはどうにも思い出せなくなっていたのである。こんなことにかかりあっていてはよくないなと、薄うす自分は思いはじめた。しかし自分は執念深くやめなかった。また止まらなかった。