梶井 基次郎3

| 未分類 |

 最近東京を騒がした有名な強盗が捕まって語ったところによると、彼は何も見えない闇の中でも、一本の棒さえあれば何里でも走ることができるという。その棒を身体の前へ突き出し突き出しして、畑でもなんでも盲滅法に走るのだそうである。
 私はこの記事を新聞で読んだとき、そぞろに爽快な戦慄を禁じることができなかった。
 闇! そのなかではわれわれは何を見ることもできない。より深い暗黒が、いつも絶えない波動で刻々と周囲に迫って来る。こんななかでは思考することさえできない。何が在るかわからないところへ、どうして踏み込んでゆくことができよう。勿論われわれは摺足でもして進むほかはないだろう。しかしそれは苦渋や不安や恐怖の感情で一ぱいになった一歩だ。その一歩を敢然と踏み出すためには、われわれは悪魔を呼ばなければならないだろう。裸足で薊を踏んづける! その絶望への情熱がなくてはならないのである。
 闇のなかでは、しかし、もしわれわれがそうした意志を捨ててしまうなら、なんという深い安堵がわれわれを包んでくれるだろう。この感情を思い浮かべるためには、われわれが都会で経験する停電を思い出してみればいい。停電して部屋が真暗になってしまうと、われわれは最初なんともいえない不快な気持になる。しかしちょっと気を変えて呑気でいてやれと思うと同時に、その暗闇は電燈の下では味わうことのできない爽やかな安息に変化してしまう。
 深い闇のなかで味わうこの安息はいったいなにを意味しているのだろう。今は誰の眼からも隠れてしまった――今は巨大な闇と一如になってしまった――それがこの感情なのだろうか。

 自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。
 Eの停留所からでも帰ることができる。しかもM停留所からの距離とさして違わないという発見は大層自分を喜ばせた。変化を喜ぶ心と、も一つは友人の許へ行くのにMからだと大変大廻りになる電車が、Eからだと比較にならないほど近かったからだった。ある日の帰途気まぐれに自分はEで電車を降り、あらましの見当と思う方角へ歩いて見た。しばらく歩いているうちに、なんだか知っているような道へ出て来たわいと思った。気がついてみると、それはいつも自分がMの停留所へ歩いてゆく道へつながって行くところなのであった。小心翼々と言ったようなその瞬間までの自分の歩き振りが非道く滑稽に思えた。そして自分は三度に二度というふうにその道を通るようになった。
 Mも終点であったがこのEも終点であった。Eから乗るとTで乗換えをする。そのTへゆくまでがMからだとEからの二倍も三倍もの時間がかかるのであった。電車はEとTとの間を単線で往復している。閑な線で、発車するまでの間を、車掌がその辺の子供と巫山戯ていたり、ポールの向きを変えるのに子供達が引張らせてもらったりなどしている。事故などは少いでしょうと訊くと、いやこれで案外多いのです。往来を走っているのは割合い少いものですが、など車掌は言っていた。汽車のように枕木の上にレールが並べてあって、踏切などをつけた、電車だけの道なのであった。
 窓からは線路に沿った家々の内部が見えた。破屋というのではないが、とりわけて見ようというような立派な家では勿論なかった。しかし人の家の内部というものにはなにか心惹かれる風情といったようなものが感じられる。窓から外を眺め勝ちな自分は、ある日その沿道に二本のうつぎを見つけた。

「たうとう弟にまで金を借りる樣になつたかなあ。」と奎吉は、一度思ひついたら最後の後悔の幕迄行つて見なければ得心の出來なくなる、いつもの彼の盲目的な欲望がむらむらと高まつて來るのを感じながら思つた。
 彼にとつてはもうこうなればその醜い欲望が勝を占めてしまふに違ひなかつた。彼は彼で祕かにそれを見越して、それを拒否する意志の働くのを斷念する傾きが出來てゐたのだつた。
 彼は今金がつかんで見度くて堪らないのであつた。然し正當の手段でそれをこしらへるめどは周圍のどこにもなかつた。
 彼は兩親から金を持つことを許されてゐないのであつた。どうして奎吉がそんな破目になつたかと云へば、それは彼の樣な性格の人間には當然な經緯の結果なのである。
 ――彼は二度續けて落第したため、最近迄籍をおいてゐた高等學校を追はれた。
 あらゆる徳目と兩立しない欲望が、又しても又しても彼のちつぽけな意志を押し流した。彼の理想や彼の兩親の願望の忠臣である彼の意志なるものはあまりに弱かつたのである。彼はその度に後悔し誓つた。然し回を重ねるにつれて、放埒の度は段々はげしくなつた。結局彼は引き摺られる所まで引き摺つてゆかれたのだ。――そして彼は學校を追はれたのだつた。
「お父さんも今度といふ今度は本當に慍つてゐらつしやる。」と奎吉は母に云ひきかされた。