梶井 基次郎2

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 冬が来て私は日光浴をやりはじめた。溪間の温泉宿なので日が翳り易い。溪の風景は朝遅くまでは日影のなかに澄んでいる。やっと十時頃溪向こうの山に堰きとめられていた日光が閃々と私の窓を射はじめる。窓を開けて仰ぐと、溪の空は虻や蜂の光点が忙しく飛び交っている。白く輝いた蜘蛛の糸が弓形に膨らんで幾条も幾条も流れてゆく。(その糸の上には、なんという小さな天女! 蜘蛛が乗っているのである。彼らはそうして自分らの身体を溪のこちら岸からあちら岸へ運ぶものらしい。)昆虫。昆虫。初冬といっても彼らの活動は空に織るようである。日光が樫の梢に染まりはじめる。するとその梢からは白い水蒸気のようなものが立ち騰る。霜が溶けるのだろうか。溶けた霜が蒸発するのだろうか。いや、それも昆虫である。微粒子のような羽虫がそんなふうに群がっている。そこへ日が当ったのである。
 私は開け放った窓のなかで半裸体の身体を晒しながら、そうした内湾のように賑やかな溪の空を眺めている。すると彼らがやって来るのである。彼らのやって来るのは私の部屋の天井からである。日蔭ではよぼよぼとしている彼らは日なたのなかへ下りて来るやよみがえったように活気づく。私の脛へひやりととまったり、両脚を挙げて腋の下を掻くような模ねをしたり手を摩りあわせたり、かと思うと弱よわしく飛び立っては絡み合ったりするのである。そうした彼らを見ていると彼らがどんなに日光を恰しんでいるかが憐れなほど理解される。とにかく彼らが嬉戯するような表情をするのは日なたのなかばかりである。それに彼らは窓が明いている間は日なたのなかから一歩も出ようとはしない。

 例月に比して小量のものしか載せ得なかつたことは、青空の經濟策に變動があつたことにもよるが、編輯の任にあたつた私が病態思ふやうに働らけなかつたためである。その點パートナーの三好を多々煩はしたことを感謝しなければならない。
 青空も滿二年を經た。絶えざる成長が行はれたことは讀者も感じられることゝ思ふ。内部にはそれと共に新らしい進展のための用意が出來てゐる。それが今年度になつてどんな成果を持つて來るか私には大きな樂しみである。生活の上にも同人の中の數人には卒業にともなふ變化がこの三月には約束されてゐるのだ。
 今月號に於て同人淺沼の評論、金斗熔氏から頂いた原稿が載せられなかつたことを遺憾に思ふ。同人阿部は卒業論文作成のため何も書かなかつた。來月には必ず何か書くことゝ思ふ。
 寄贈された雜誌に厚く御禮申します。

「お前は弟達をちつとも可愛がつてやらない。お前は愛のない男だ。」
 父母は私によくそう云つて戒めた。
 實際私は弟達に對して隨分突慳貪であつた。彼等を泣かすのは何時でも私であつた。彼等に手を振り上げるのは兄弟中で事實私一人だつた。だから父母のその言葉は一應はもつともなのであるが私は私のとつてゐた態度以外にはどうしても彼等が扱へなかつた。
 私はどちらかと云へば彼等には暴君であつた。然しとにかく弟達はそれの或程度迄には折れ合つて、私對弟等の或る一定した關係の朧ろな輪廓が出來てゐた。
 然しその標準から私は時々はみ出たことをした。――と云ふよりも事實いけないと思ふ樣なことをした記憶をもつてゐる。

 三年程以前のことだと思ふ。その勘定だと、上の方の弟が十三で、その次が十の時だつた筈である。
 その下の方の弟がこんなことを云つて戸外から歸つて來た。
「勇ちやん――(上の方の弟の名)――今そとでよその奴に撲られたんだよ。」
 譯をきいて見れば、勇が自轉車につきあたられて、そしておまけに「この間拔け奴。」と云つてその乘つてゐた男に頭を撲られたと云ふのである。